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気が向いた時に有益そうな健康法を語るスレ

1:ロズウェル :

2013/02/10 (Sun) 14:11:39

host:*.vectant.ne.jp
気が向いた時に有益そうな健康法を語るスレ。
もう独り言スレに健康関連の話題で占有するの気が引けるので、スレ立てます。
西洋医学・東洋医学を越えて、少食・断食、各種自然療法、各種エネルギー療法、各地の薬石、
波動療法、祈る力による治癒、パワースポット、方位取りによる病気治癒・・・などなど、なんでもお話下さい。

有益な情報や面白い情報があればコピペして下さい。m(__)m
放知技内の学研「ムー」的スレを目指します。
289:養生法の探求 :

2013/04/04 (Thu) 01:41:58

host:*.tokai.or.jp
〈日本医道史におけるターニングポイント〉

明治11年、明治新政府は東京府(現在の東京都を管轄していた役所)に補助金を与え神田一橋に脚気病院を設立し
ベッドを半分に分けて洋方医と漢方医のどちらがよく脚気を治療しうるかの実験を開始した。
世に言う「漢洋の脚気相撲」「脚気事件」の始まりである。
洋方(西洋医)からは佐々木東洋、小林恒が、漢方(和方医、漢方医)からは今村了庵、遠田澄庵がその任にあたった。

明治天皇はこの脚気治療に精通していた漢方医・遠田澄庵の名を挙げて名指しし
「漢医の固陋(ころう)として妄りに退けず、宜しく諸医協力してその病原を究め、その治術を件精すべし」
というお言葉を発した。つまりお気に入りの漢方医にラブコールまで込めて漢方医学を熱烈にプッシュし、
岩倉具視と大久保利通に脚気を治療する療法の解明を要求したのである。

当時はまだ脚気がオリザニン(ビタミンB1)の不足による疾患と判明していなく大正時代になるまでは年間2万人
もの死者を出す猛威をふるっていたのが脚気という疾病であった。だから明治天皇はこの事態を重く受け止め
国民のためを思い、脚気治療に長じていた漢方医の個人名まで持ち出して政府に脚気を克服するように望んだ
のである。

さてこの政府キモイリで設立された脚気病院はわずか4年で閉鎖されてしまう。
いったいどんな治療が内部で行われて洋方医がどのような治療を行ったのか?
漢方医たちはどんな生薬を配合しどんな薬方名の湯液を施したのか?詳細はまったく伝えられていない。
つまり結果は隠蔽されてしまった。その後の動向から洋方側が圧勝したのだ、というデマが流されている。

脚気という病態はビタミンB1という微量栄養素の不足を補わなければ治らない疾患であるが漢方医たちは
経験的に治す方法を心得ていた。小赤豆鯉魚湯という小豆と鯉を使った湯液と麦飯の摂取でよく脚気を治し得て
漢方側が圧勝したというのが真実と推測されている。

この脚気相撲の結果が隠蔽された医道史に残る一大謀略事件が契機となりその後の日本の医道が混乱し、
日本鍼灸、日本漢方が壊滅するキッカケになった事はをここに集う皆様に刮目して記憶に留めておいて
頂きたいのです。

脚気病院が閉鎖された翌年の明治15年頃から医師法改正の法整備が成され、明治28年に完全に漢方医と
しての医師認定の夢はついえます。もしも洋方医が脚気治療に手も足も出なく、ただのひとりも治せなかったと
したら、この西洋医学のみを学んだ者にしか医師資格を与えない、という法改正に支障がでたのです。
だからわざわざ脚気病院まで設立し、漢方医側の秘匿する治術まで盗みながらも、結局は漢方医を絶滅させて
しまったのです。つまり結果はどうでも良かった。最初から国策としてドイツ医学一本で行く、は既定路線で
あったのです。

漢方医たちも黙っていたわけではありません。温知社という団体を結成し、漢医認定試験を行うことを
誓願しました。しかし、1895年(明治28年)にこの医師免許改正案は否決され、反対運動は幕を閉じます。

もしも漢方医という医師も認められ、西洋医もまた医師である、という両立てでその後の医療が行われていたならば
もしかすると日本医学は世界一、いや宇宙一の高度な医療を達成した可能性があります。
当時の漢方のレベルは手術なしで湯液のみで胃ガンを90%治しましたから、そこに科学的な視点が入れば
今頃は癌などいとも簡単に制圧できていた事でしょう。

この西洋医のみを医師とするという政策がもたらした害悪を私たちは一度でもいいから沈思黙考すべきかと
存じます。医学が優れていたから近現代日本において西洋医学が覇権を握ったのでは断じてありません。
単なる明治新政府の国策により西洋医学が覇権を横取りしたに過ぎないのです。
時の西洋医5千2百人、時の漢方医2万3千人。この伝統医療を担う連綿と往古より錬磨した漢方、和方の
医の系譜、伝承者2万3千人はこの明治維新の際の医師法改正により絶滅したのです。

日本医道史における伝承医たちへのジェノサイド・ショックドクトリン。
まさに明治維新とは日本の医学を混乱させた分岐点でした。

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