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飯山一郎へ伝言・密告・質問・短信etc -12-

1:飯山一郎 :

2015/11/17 (Tue) 15:54:51

host:*.ocn.ne.jp
世界は、いま、既存の構造そのものが変容しはじめ…、国家の崩壊、社会の混迷、経済の混乱、人心の乱変等々、世界の全局面が混沌の様相を呈している。「パリ偽旗テロ」なんぞは、その一現象でしかない。我が日本国は、「崩壊先進国」・「カオス大国」として世界の最先端を先駆している。我々は、カオス化崩壊現象の渦中でも生き残る知恵と技術を磨くほかはないのだ。
488:成田 :

2015/12/01 (Tue) 09:32:19

host:*.zaq.ne.jp
おはようございます。

長文をお許しください。

wikipediaより

水木しげる
1922年(大正11年)3月8日、大阪府西成郡粉浜村(現在の大阪市住吉区東粉浜)に生まれた。

その後間もなく父は事業に失敗して帰郷、結局は一家全員が境港に落ち着くことになった。
比較的に恵まれた環境で育つが学校の勉強はできる方ではなく、両親が尋常小学校入学を1年遅らせたほどだった。自身も認める超マイペースぶりから朝寝坊してゆっくり朝食をとり、たいてい2時間目くらいの時間から登校するという変わった生徒だった。


尋常小学校卒業後は5年制の中等教育学校であった旧制中学校への進学を志望していた。昭和初期の農村部の子供は殆どが初等教育で社会に出たが、水木によれば地元の境港は貧しい港町ながら教育熱心な土地柄であったらしく、多くの者が中等教育に進んでいた。水木の母も学歴を気にする性質であったため教育に熱心で、実際に成績優秀な兄と弟は旧制中学校に進学を果たしていた。


勉強そっちのけだった水木も漠然と旧制中学受験を希望したが、進路相談で教師は水木の母に「そりゃあ、無理じゃろう」と即答したという。僅かに将来への不安を覚えたが、中等教育の予備校でもある無試験の高等小学校に進むとすぐに忘れて遊び回る子供に戻っていった。


水木は勉学が苦手な自分の気質を考慮して、様々な美術学校から「試験や入学資格の無い所」を探したという。


やがて大阪の上本町で、京都市美術工芸学校(現・京都市立芸術大学)で学んだ画家の松村景春が設立した精華美術学院という、当時としても珍しい無試験の美術専門学校を見つけて入学した。しかし学院は美術学校というには小さな建物で、職員も校長が教員と事務員を兼任するという個人塾のような所で、授業内容も実践的な図案講習会に近かった。立派な画家になるんだと思い詰めて一心不乱に独習を重ねてきた自身の方が、もったいぶって教える先生より技倆(ぎりょう)が上と感じたという。失望から程なく学校には行かなくなり、近所の森や山で時間を潰す日々を送った。


上記の反省から学校を選び直す事を思い立ち、美術系の旧制専門学校である東京美術学校(現・東京藝術大学)で学んで画家になりたいという大きな夢が膨らんだ。高等小学校卒の水木には旧制専門学校の受験資格はなかったので、まずは旧制中学校を再び目指し、精華美術学院を退校して大阪府立園芸学校(現・大阪府立園芸高等学校)を受験した。幸運にも同年の筆記試験は国史(日本史)の一科目だけであり、参考書をほとんど丸暗記して試験に臨んだ。加えて定員50名に対し受験者51名(つまり一人だけが落ちる)という低倍率で、絶対に合格すると自信満々で結果すら見に行かなかったが、父が確認すると不合格だった。


水木は不合格の原因について、面接で「卒業したらどうするんだ」と聞かれ、「満蒙開拓義勇軍に入ります」というのが模範回答だが、旧制中学校卒の資格が目当てであって別に園芸や農業に興味はないと正直に答えたためではないかと推測している。流石の水木も惨めな思いをしたが、父は怒らず「本当に満州行きになったらどうするんだ」と優しく慰めてくれたという。


1940年(昭和15年)新聞配達で働きながら別の学校(日本鉱業学校採掘科)を受験、今度は合格する。しかし例によって専門科目に全く興味が抱けず、成績不振且つ欠席が多く半年で退学処分となった。間もなく新聞配達も辞め、大阪の朝日ビルディングの中にあった中之島洋画研究所に通っていた。水木は両親と今後を話し合い、両親から日本大学付属の旧制大阪夜間中学校(現・大阪学園大阪高等学校)への進学を勧められ、同校に入学した。昼間には『****通信』というガリ版新聞を配達する仕事をし、休日には宝塚ファミリーランドの動物園や昆虫館、宝塚歌劇によく足を運んでいた。そうした中、太平洋戦争が勃発する。


20歳になった水木は徴兵検査を受け、結果は体は頑健ながら近眼により乙種合格で、補充兵役に編入され現役入営(入隊)はしなかった。


軍隊生活でもマイペース振りはそのままで、その大胆な態度から風呂で幹部と間違われて古年兵に背中を流してもらった。初年兵教育を終えると喇叭手になったが上手く吹けず、自ら配置転換を申し出た。最初は取り合ってもらえなかったが、三度目に曹長から「北がいいか、南がいいか」と尋ねられた。国内配置についての事だと考え、寒いのが嫌いなので「南であります」と答えた。


てっきり九州など国内南部の連隊への配属になると思っていたが、南方のラバウル行きが決定したと告げられて青ざめた。


歩兵第229連隊(岐阜県。第38師団隷下)所属となった水木をパラオからラバウルまで輸送したのは、日露戦争で活躍した老朽船の「信濃丸」だった。敵潜水艦の魚雷攻撃をかわしつつ、水木の所属した部隊は何とかラバウルに着いたが、後にラバウルに派遣された部隊は全て途中で沈没させられているため、水木の部隊がラバウルに到着できた最後の部隊であった。


ラバウルに着いた時、上陸できた奇跡から気が緩んで「ここは何処でありますか」と尋ねてしまい、上官から猛烈な往復ビンタを食らった
基本的に軍隊生活と馴染めなかった水木だったが、所属していた第2中隊の中隊長である児玉清三中尉(30歳代後半の材木屋出身の予備役将校)からは、その腕を買われ似顔絵を描く事をよく頼まれていた。他に下士官の宮一郎軍曹や軍医の砂原勝巳大尉など、親切に接してくれる人物もいた。


ニューブリテン島での戦争体験がその後の水木作品に影響を与えた。ニューブリテン島ズンゲンの戦いにおいて、優れた装備と圧倒的な物量の連合軍の前に、所属する支隊の成瀬懿民少佐は玉砕の命令を出すが、児玉中隊長の機転で遊撃戦(ゲリラ戦)に転じ、そのおかげで生命を拾うこととなる。しかし、支隊本部の総員玉砕報告に反して生存者が出たことから、児玉は責任を取って自決した。


また島の住民にも襲われそうになった。バイエンに配属され、決死隊として夜間の見張りをしていたとき、敵の飛行機から機銃掃射された。さらに逃げていた所を原住民ゲリラに発見され、あわてて海にとびこんで逃げた。水木は銃剣とふんどし一丁でジャングルを数日間逃げ惑い、落ち武者狩りをやりすごしつつ、奇跡的に生還した。九死に一生を得て部隊に戻ると仲間達は喜んでくれたが、兵器を捨てて逃げた事を上官にとがめられた。「なぜ死なずに逃げたのか」と不機嫌な態度で詰問され、呆然としていると「死に場所は見つけてやるぞ」と言い捨てられた。これ以降、戦場ですら朗らかだった水木も流石に塞ぎこんで虚無主義的な考え方をするようになった。


1945年の初め頃、他の傷病兵と後方に送られる。傷病兵の間では「役立たずになった兵士はまとめてどこかに捨てられる」との噂が立っており、水木も少し不安だったが辿り着いたのはナマレに設置された野戦病院で、治療の傍ら畑仕事などに駆り出された。


最前線に比べれば安全な土地で死の恐怖が和らぐと、島の原住民であるトライ族と交流する余裕ができた。他の兵隊の様に威張らない水木を気に入ったトライ族から歓待を受け、水木の側も配給のタバコをお礼に渡すなどしている内に意気投合し、やがて集落の仲間として受け入れられた。軍規違反を承知で理由を付けてトライ族の集落に通い、トライ族の側も水木が再びマラリアで倒れると食料を持って見舞いに来てくれた。事ある毎に自分を罵倒していた上官の大尉からは「あいつは頭がおかしいぞ」と陰口を叩かれたが、先述の砂原勝巳大尉が庇ってくれたという。


8月25日、部隊長から「ポツダム宣言受諾」についての訓示を受ける。水木も他の兵士達も意味する所が理解できず「戦争に勝ったのか?」との囁きが漏れたが、程なく「戦争に負けた」という話だと判った。軍内では落胆の声が広がったが水木は「生き延びた!」と思い、戦場で死ななかった事に感無量だった。

stand by you stand by me

http://youtu.be/T44ZC7OAXV0

子供たちに、栄光、譽れ、栄あれ

http://youtu.be/z29L3z0lf08


飯山先生、頼んます。







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