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金正恩2018年元旦,金正恩,五輪外交を開始!平昌五輪を大成功に導く.習近平が金正恩を超国賓待遇!金正恩が米朝首脳会談を提案,これをトランプが即断で受諾!金正恩,板門店から韓国に入り,南北首脳会談.大成功!トランプが5月中の米朝首脳会談を示唆.マティス国防長官が「駐韓米軍の撤退」を示唆!…まさしく激動の2018年だ.この激動の切っ掛けをつくり,激動をリードしてきたのは,金正恩(34)だ!今後も金正恩は世界をリードする!目が離せない.深い考察と議論が必要だ.(M部長・飯山一郎)
金正恩の真実 金王朝の“深い謎”ビビンバ!北朝鮮!
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飯山一郎へ伝言・密告・質問・短信etc -19-

1:飯山一郎 :

2016/09/15 (Thu) 09:20:45

host:*.sakura.ne.jp
世界で最も裕福な国になった中国に,飯山一郎が3ヶ月も滞在しているのは…,人々の底抜けの明るさ,心のやさしさ,カネを使いまくる鷹揚さ,美しい環境,街なかにも郊外にも公害なんてないし,放射能もない,これほど愉快で居心地の良い国だったとは!という驚きがあるからだ.そういう中国と日本の「国家格差」は,山谷のドヤ街と田園調布,あるいは横綱と幕下ほどの差はないが,今の日本は「落ち目の前頭」が末期癌で死にかけている様相だ.だから「日本」を語るのは今だ!死んだら語れない….
475:小川秀之:

2016/10/11 (Tue) 14:59:58

host:*.com.au
飯山一郎様

小生が歴史に足を突っ込んだくだりです。


小津氏のこと

人生の転換は突然くる。
次男がはじめてあけた目を見て驚いた。
それはその色が緑だったからである。
僕は若いころ生物学に興味があり、遺伝学の本もいくっか目を通してので、多少の知識もあった。
妻の目の色は青であるが、青の目の色は劣性と習ったように記憶していたので、僕のDNAに目の茶色以外の劣性DNAが含まれているのかもしれないと思った。
そしてすぐに祖父の小津浩の目の色が明るい橙色たったことを思いだした。
小津浩は眼光が鋭く眼窩がくぼみ、いかっい鷲鼻だった。
小津浩く若いときからかなりながいあいた゛アメリカにいたのだが、たぶん中近東の人間とみられ、東洋人としての差別は受けにくかったと思う。
感じとしては、英国の俳優のアガサ クリステイの著書の最重要人物ファローを好演し続けたデビッド サシュエ(David Suchet)の鼻を少し大きくした様な顔の人だった。
その小津という姓はありそうでないあまりない姓なのである。
日本でいま2000人(一説では500人以下) にみたない人間しか称さない小津氏はもともとほとんど三重県の松坂と岡山にかぎられているそうで、岡山の小津氏ももとは松坂に端を発している。
小津安二郎をはじめとして、馬術家だった小津茂郎、阪神球団の社長だった小津正次郎など小津氏から何人か名の知られている人がでている。
しかし一番有名な小津氏からでた人物は先祖の婿養子の旧姓の本居を名乗った本居宣長であろう。
それらの人々はみな一様に立派な鼻もっている。
本居宣長に至っては鉤鼻である。
ともあれ、僕は次男の緑の目をみて小津氏のことに興味をもった。
 そしてすぐにシドニー大学の図書館で新撰姓氏録や太田亮の姓氏家系大辞典などの本で探しだしてみてみた。
小津氏の姓は新撰姓氏録には存在しないが小津氏の旧名と思われる同じ氏族の尾津直が大和国 未定雑姓のなかに 「尾津直漢高祖五世孫大水命之後也なりといへどみえず」とでてくる。
太田亮は姓氏家系大辞典で「けだし倭漢坂上氏か」としている。
この倭漢坂上氏は「東漢氏」という、秦氏とならぶいわゆる帰化人の代表的な氏族である。
この倭漢坂上氏からでた武人の坂上田村麻呂は身の丈が5尺8寸(約176cm)分厚い胸を持ち。鷹のような蒼い眸の目をもち、黄金色の鬢をもっていたとされている。
ただ黒目のまわりが蒼い鷹もいるが、黒目のまわりが黄金色の目をもつ鷹のほうが多く蒼鷹といえば黒目のまわりが黄金色の目をもつている。
坂上田村麻呂は黄金色の目をしていたのかもしれない。
 その白人説のほうが図にかなっている坂上田村麻呂に「坂上田村麻呂黒人説」があるのだから歴史学も魑魅魍魎の世界にあるのだろう。
坂上田村麻呂はあるいは黄金色の髪さえもっていたのかもしれない。
ちなみに日本人でも0.7パーセントの人が灰色などの淡色の目の色をもっているそうである。
金髪の人もままいるようである。学校生活中2人日本人で金髪の女の子をみたことがある。
知人のある京都出の女性が妹さんが金髪だそうで、学生時代不良とみなされるので学校から黒く染めるように強制されていたと語ってくれたことがある。
金髪や淡色の目を持つ日本人は思うより多いのかもしれない。
考えてみれば日本では外人顔をした人はいくらでもいる。
 ところで尾津氏、小津氏はもともと『乙氏』 (おつ、おづ) だつたのではないかと思う。
『乙氏』は姓氏研究『乙氏』では「胡族」となっている。
こうして僕は小津氏はもともと胡族だったのであろうと推測した。
この『乙氏』は高句麗に存在しているので、そのあたりからきたのであろう。
それにしても、それら小津の人たちが立派な鼻をつたえてきたのは、小津氏の中で婚姻が多く行われたのであろうか?
そして1200年以上記録のある氏族のわりに現在でも少数人数しかいないなのはどういうことなのであろうか?
新撰姓氏録ができたころでは、きわめて少数しか尾津氏、小津氏を名のる人はいなかったのであろう。
この小津氏が「胡族」だったという可能性を博覧強識の本居宣長が知らなかったとは思われず、国学視者が「胡族」だった可能性のある小津氏では都合悪いこともあるということが改姓の理由のひとつだったのかもしれない。
なお現在でも中国には北荻,鲜卑、匈奴のいわゆる「胡族」を祖先とする出自の「乙氏」と、商の「湯氏」、「姫氏」を出とする「乙氏」が存在する。いずれにしろほとんどが漢族とは別の出自である。
その「おづ」をローマ字で表すと「OZ」であり、トルコ人や、イスラエルの屈指の作家のアモス オヅの名前にみられるようににユダヤ人の間に存在する姓である。
すくなくともトルコの「OZ」姓と中国の「乙氏」のいくつもが同じ起源をもっているのであろう。
三井家とならび松坂商人を代表する小津氏は多分いにしえも商売にたずさわってきたのであろう。
そうすると小津氏は「胡族」でも遊牧民族ではなく、中近東、インドから東アジアまで商人達として活躍し東方への仏教やネストリウス派のキリスト教の伝播に寄与し、たとえばおうおうに遊牧民族が建てた国の金融の実権をにぎったインドヨーロピアン系民族のイラン人の系統のソグド人の出自であったのかもしれない。
このソグド人は残念ながら狡猾さということでで有名なのである。
どこかで藤原氏の元の中臣氏は「倭胡連」とよばれていたとある本で読んだことがある。
狡猾な人々を多くだした藤原氏ももとはソグド人を祖にもっていたのかもしれない。
ところで最近ヨーロッパ系のユダヤ人(アシュケナジー) をトルコ系の遊牧民族がたて、その後ユダヤ教をとりいれたハザール帝国と関係づける説をよく見聞きする。
一般的には否定されているのだが、日本ではこの説が独り歩きして金融ユダヤ人はハザールマフィヤとして認知されていることは周知のことである。
遊牧民族には狡猾さが一般にかけていることと、ハザール帝国当たりのユダヤ人にも狡猾さがあったようにも思えないことと、ヨーロッパ系のユダヤ人の顔立ちなどからヨーロッパ系のユダヤ人(アシュケナジー) はハザール帝国で金融や商業はユダヤ教に改宗したインドヨーロピアン民族のソグド人がにぎり、ハザール帝国滅亡後そのソグド人たちがヨーロッパに移ったというような説をたててみればどんなものであろうか。
中国では現在でも本土にすむ回教徒の多くがこのこのソグド人の後裔とおぼしき人々にしめられているようである。
ところで新撰姓氏録諸蕃のなかで一番有名なのは漢からの諸蕃とされている秦氏である。
この秦氏はもちろん間違いなく大陸から渡来したのは否定しょうがない。
秦氏の祖は秦の始皇帝とされているが、古代日本での巨大な富を抱えた有力さを考えてみると、大いにありうることと思える。
秦氏百済出自説や新羅出自説などもあるが、秦氏自身が祖は秦の始皇帝とし、新撰姓氏録でも漢の諸蕃となっているのをおせっかいにも、百済か新羅に滞在していたことはあろうが百済出自説や新羅出自説などもちだすのはいかがなものであろうか。
秦氏はもちろん中国に存在しほとんどが出自は秦の始皇帝かローマ帝国を含めた西域とされている。
秦人も中国の西方に現れた時、漢人が理解できない言葉を話したそうである。
またの秦が始皇帝はその出生にまつわりややこしい話があるのだが、父親が碧眼だったという話もあり、もともとは漢人出でなかったと考えたほうが適切だとおもう。
秦の出現の時期と地理的位置を考えるとアレキサンダー大王の遺将の子孫なのかもしれない。
とにかく日本の秦氏は中国の秦氏と関連して考えるべきであろう。
いや日本の古い姓は中国、高句麗、百済、新羅の姓と関連して考えるべきであろう。
僕の考えでは新撰姓氏録の神別は高句麗出自で父系制を主体とし父系で継いだ神とされた天皇の子孫の氏族であり、皇別は百済出自で母系で大王(おほきみ) のでた氏族の後裔である。
 ともあれ小津氏のことを太田亮は姓氏家系大辞典や新撰姓氏録で調べたあとすぐに、学校で習った日本の歴史は原文ではどうなっているのかなとふと思い、まず魏志を見つけだし、倭人条をよんでみた。
一読しただけでいかにでたらめなことを正しいと学校で教えられてきたのかと驚いた。
また自分には歴史を観る才能があるのかもしれないと気づいた。
そして、それではいいかげんでない日本の古代歴史書を書いてみようと決心した。



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