★ 掲示板:『放知技(ほうちぎ)』 ★彡
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2018年元旦,金正恩,五輪外交を開始!平昌五輪を大成功に導く.習近平が金正恩を超国賓待遇!金正恩が米朝首脳会談を提案,これをトランプが即断で受諾!金正恩,板門店から韓国に入り,南北首脳会談.大成功!トランプが5月中の米朝首脳会談を示唆.マティス国防長官が「駐韓米軍の撤退」を示唆!…まさしく激動の2018年だ.この激動の切っ掛けをつくり,激動をリードしてきたのは,金正恩(34)だ!今後も金正恩は世界をリードする!目が離せない.深い考察と議論が必要だ.
(M部長・飯山一郎)
柿本人麿と九州王朝
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1:明石原人
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2016/12/16 (Fri) 10:56:09
host:*.plala.or.jp
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「一元通念は、論証を経ておらず、
その正しさを証するに足る根拠もない。」・・・・・・中小路駿逸
「近畿大和なる天皇家の王権は、
七世紀よりも前から日本列島内で
唯一の卓越して尊貴な中心的権力であった。」・・・一元通念(一元史観ではない。単なる通念。)
「七世紀よりも前から」が、大嘘。
「七世紀より前は九州王朝。」 (その前は出雲王朝。そして・・・その前は分からないが・・・・。)
近畿天皇家=大和朝廷は、「八世紀から」。
八世紀の近畿天皇家自身が、正直に、我が王朝の始まりは、八世紀からだと宣言している。
『日本書紀』『続日本紀』の読み間違いが一元通念を生み出している。
一元通念ではなく多元史観で歴史をみる。論証と根拠が必要。
一元通念を非としたとき、
東北王朝、関東王朝、越王朝、吉備王朝、出雲王朝、九州王朝、近畿王朝・・・が、浮き出てくる。
多元的古代の登場。
多元史観で古代を語ってみたい。
人麿を中心にして。
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22:堺のおっさん
:
2016/12/28 (Wed) 15:11:18
host:*.ocn.ne.jp
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7世紀半ば、といえば650年ごろですが、泉の国は農業を支えるため池群がまだできていません。
行基が作ったこれらのインフラで増産=人口増が可能となったと思います。
では、6世紀の泉地方の人口はどれくらいであったか。かの古墳群を造営するには
相当な人口でなければ不可能だと思います。
そこで、現地で検分する限り巨大な国家が必要となります。
具体的な数字をはじき出せれば論証も進むのでしょうが、そこは勘弁してください。
結論から言うと、古墳群は当時はもっと小規模のものでなかったかということです。
それを、百済系の国家が大和に入って以降、大規模に改修造営したのが現在残されている
古墳群ではないかということです。
何のため? 唐の大軍勢が押し寄せてきた時の防衛線としてです。
地図を眺めると、仁徳陵が海岸線の最前線。応神陵が大和へ攻め上る最終防衛ラインとして
設定されたのではないか?
このように見ると、堺・羽曳野の平野で大軍勢を押し包みせん滅するという軍事
戦略が見えます。
なお、応神陵は西側のみ堀も土塁も強化されています。応神陵から見た西側とは
もちろん海側。唐の上陸に備えての造営ということになります。
以上は、かねてからの仮説です。