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金正恩2018年元旦,金正恩,五輪外交を開始!平昌五輪を大成功に導く.習近平が金正恩を超国賓待遇!金正恩が米朝首脳会談を提案,これをトランプが即断で受諾!金正恩,板門店から韓国に入り,南北首脳会談.大成功!トランプが5月中の米朝首脳会談を示唆.マティス国防長官が「駐韓米軍の撤退」を示唆!…まさしく激動の2018年だ.この激動の切っ掛けをつくり,激動をリードしてきたのは,金正恩(34)だ!今後も金正恩は世界をリードする!目が離せない.深い考察と議論が必要だ.(M部長・飯山一郎)
金正恩の真実 金王朝の“深い謎”ビビンバ!北朝鮮!
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新時代を冷徹に読み解くおっさんたちの激論スレー36-

1:堺のおっさん:

2018/10/11 (Thu) 01:26:16

host:*.enabler.ne.jp
安倍総理は9月の自民党総裁選で、ゴリゴリの財務省増税派の石破派を排除することに成功した。国政での安倍総理の政治基盤は何一つ揺るがなかった。
消費税問題さえも逆手に取った安倍総理のマキャベリズムはこれからが正念場でもある。この山を乗り越えれば、ようやく長期政権のみがなしえる日本の再生に向かって日本は次のステージに向かっていく。
一方目を海外に転じれば、正月に突如声明された若き金正恩の新路線が世界を変えつつある。時間を追うにつれて飯山氏の「金正恩が世界を変える」との予測通りに動き始めている。
グローバリズム、ネオコンの衰退は誰の目にも明らかであり、多極化していく世界はこれまでの常識とはまるで違う発展を遂げていくこととなるであろう。
そのカギはアメリカが変われるのか? そして、トランプは中間選挙を乗り切り長期政権にたどり着けるのか? ドル体制は変わるのか? 来る新時代を客観視した議論を期待する。
947:Conganas :

2019/02/08 (Fri) 05:31:06

host:*.canvas.ne.jp
1月22日モスクワでの日露首脳会談では、1956年の平和条約が領土解決であるとした日ソ共同宣言の〈歯舞群島及び色丹島を日本国に「引き渡す」ことに同意する〉ことが再確認、約束された。

日ソ共同宣言が出てくる背景は1950年にアチソン米国務長官が共産陣営に対する防衛ラインを「アリューシャン列島-日本列島-沖縄-フィリピン」とするアチソンラインを宣言したことからだ。この後朝鮮戦争が始まっている。

ソ連はアリューシャンと北海道の結節点に米軍基地を置かせない地政学のために同国が第二次大戦で合法的に得た領土である2島を日本へ贈与して平和条約を締結したかったのだ。

にもかかわらずDSに植え付けられた「4島一括返還」という幻想を追い求める道を日本が選択したことで迷宮をさまよい続けたのが北方領土問題なのだ。

プーチンは、米国政権が反DSのトランプであるこのタイミングが日本への2島の「引き渡し」と平和条約締結の最大のチャンスととらえている。安倍も今しかないと考えている。トランプもDSをくじく、中国封じ込め戦略としての北朝鮮政略とセットの布石として、2島引き渡しにあえて介入しないだろう。

以上の考察ができたのは昨日、日ソ共同宣言のバックグラウンドをあきらかにする注目すべき事実が出てきたからだ。重要記事を全文転載する。

〈以下転載〉
“2島引き渡し 平和条約交渉急ぐ” 旧ソビエト機密文書
2019年2月7日 4時43分

日本とロシアの両首脳が平和条約交渉の基礎としている1956年の日ソ共同宣言をめぐって、当時のソビエト指導部は、アメリカとの対抗上、交渉の進展を急ぐ必要に迫られ、早い段階から、北方領土の歯舞群島と色丹島の2島の引き渡しを最大の譲歩案として交渉に臨む方針を固めていたことが、NHKが入手した文書で明らかになりました。2島の引き渡しで最終決着を図ろうとしてきたプーチン大統領の考え方の基礎になる資料として注目されます。

日本とソビエトは、1955年の6月にイギリス ロンドンで、国交正常化に向けた交渉を始め、翌56年に平和条約の締結後、歯舞群島と色丹島を引き渡すことを明記した「日ソ共同宣言」に署名しました。

2島の引き渡しについては、ソビエト側の交渉責任者だったマリク全権が55年8月、非公式の場で、日本側に突然、持ちかけたものですが、その意図は不明でした。

これについてNHKが7日までに入手した当時のソビエト共産党指導部の機密文書では、交渉開始直前の6月2日付けで「両国関係が良好な方向に発展していく場合、歯舞群島と色丹島の引き渡しの交渉を始めることは可能だ」としていて、「外国軍の基地を置かない」ことを条件に、早い段階から2島の引き渡しを最大の譲歩案として交渉に臨む方針を固めていたことが明らかになりました。

その理由として文書では「日本に対する影響力を強め、アメリカの政治的、経済的立場を弱める措置をとる必要があり、その際に日本の経済的、政治的独立性の願望を利用する」と書かれていて、冷戦下のアメリカとの対抗上、交渉の進展を急ぐ必要に迫られていたことが背景にあるものとみられます。

今回の文書についてロシア政治に詳しい法政大学の下斗米伸夫教授は「歯舞・色丹の話が出てくるプロセスが初めて見えてきた。2島を提供するという譲歩で、ソビエトがアジアでの立場を強め、アメリカに対するけん制を強めようとした意図が明らかになった」と指摘しています。

そのうえで「プーチン政権の交渉態度も、当時の文書を基礎に考えている節が見てとれる」と述べていて、日ソ共同宣言に基づいて2島の引き渡しで最終決着を図ろうとしてきたプーチン大統領の考え方の基礎になる資料として注目されます。
ソビエト指導部の方針や経緯明らかに
今回NHKが入手した機密文書によって、日本との国交回復交渉に臨むソビエト指導部の方針や経緯の一部が明らかになりました。

このうち、1955年6月に交渉を開始する前の5月に出されたソビエト共産党指導部の指令文書の草案では「交渉の直接の目的は相互に大使館を設置すること」とされ、領土問題については「検討すべきものではない」と書かれています。

ところが、イギリス ロンドンで日本側との交渉を始める前日の6月2日付けの文書では、ソビエト共産党指導部が方針を大きく変えたことが分かります。文書では「ソビエトは日本に対する影響力を強め、アメリカの政治的、経済的立場を弱める措置を取る必要があり、その際に日本の経済的、政治的独立性の願望を利用する」と書かれていて、冷戦下、日本をアメリカから引き離そうというねらいがうかがえます。

中でも領土問題への対応については「日本が北海道に直接隣接する歯舞群島と色丹島の返還問題を提示する場合、ソビエトは特定の条件の下で検討することが可能だと宣言できる。両国関係が良好な方向に発展していく場合、歯舞群島と色丹島の引き渡しの交渉を始めることは可能だ」として、早い段階から2島の引き渡しを最大の譲歩案として交渉に臨む方針を固めていたことが明らかになりました。

この文書は、保守派と言われた当時のモロトフ外相が作成した案をフルシチョフ第1書記やブルガーニン首相が承認する形となっていて、歯舞、色丹の2島の引き渡しはソビエト政府の一致した考え方だったことが分かります。

その後、1955年7月14日付けの「歯舞群島と色丹島に関する指令の草案」と題された共産党中央委員会の文書には、ソビエト側の交渉団トップのマリク全権への具体的な指示が記されています。

この中では「島を引き渡したあとに軍事基地を設置しないという義務を果たすならば、日本側に歯舞群島と色丹島の引き渡しに合意する用意があると伝えること」と書かれ、交渉開始から1か月後には2島の引き渡しに合意する用意があったことも明らかになりました。
日ソ国交回復交渉から共同宣言署名まで
日本とソビエトの国交回復交渉は1955年6月3日、イギリスの首都ロンドンのソビエト大使館で始まりました。

日本側は松本俊一全権が、ソビエト側はヤコフ・マリク全権が交渉責任者を務めました。

交渉では、北方四島を含む領土問題も議題になりましたが、日本側が「歴史的に見ても日本の領土だ」と返還を主張したのに対して、ソビエト側は「第2次世界大戦の結果、解決された問題だ」として議論は平行線をたどりました。

ところが、松本氏の回顧録によりますと8月5日、ロンドンの日本大使館で松本氏に対してマリク氏が突然「ほかの問題が全部片づけばソビエト側は日本側の要求に応じて、歯舞、色丹を日本に引き渡してもいい」と述べたということです。

松本氏は「最初は自分の耳を疑ったが、内心非常に喜んだ」としています。しかし日本政府としては、国後島と択捉島を含めて4島の返還を求める姿勢を崩さず、ソビエト側も態度を硬化させていきました。

結局、1956年10月、モスクワを訪れた当時の鳩山総理大臣とブルガーニン首相が「平和条約の締結後に歯舞群島と色丹島を引き渡す」と明記した日ソ共同宣言に署名し、平和条約の締結には至りませんでした。
専門家「プーチン大統領も考え方を参考に」
NHKが入手した当時のソビエト共産党指導部の機密文書について、ロシア政治が専門の法政大学の下斗米伸夫教授は「歯舞群島と色丹島の2島の話が出てくる過程が初めて見えてきた」と評価しました。

具体的には、保守派で対日交渉に消極的とされた当時のモロトフ外相も2島の引き渡しを了承していたことがうかがえるとしたうえで、「最高指導部の決定として比較的最初から合意されていた方針だったことが分かるのではないか」と述べ、2島の引き渡しの方針が共産党指導部内で一致した考え方だったという見方を示しました。

その背景として下斗米教授は、アメリカとの冷戦が続く中で、ソビエトにとってどのようにして日本をアメリカから引き離すかが重要になっていたとし、「歯舞、色丹を日本に提供するという譲歩でソビエトがアジアでの立場を強め、アメリカに対するけん制を強めようとした意図が明らかになった」と指摘しています。

そのうえで「最近、ラブロフ外相が非常に厳しい発言をしているが、プーチン政権の交渉態度も当時の文書を基礎に考えている節が見てとれる」と述べました。具体的に下斗米教授は「小さな島は北海道の先だから平和条約の締結後に引き渡す。ただし国後、択捉は交渉しないということだ」と述べ、プーチン大統領も、北海道に隣接しているという理由で、歯舞群島と色丹島の引き渡しで最終決着を図ろうとした当時のソビエト指導部の考え方を参考にしているという見方を示しました。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190207/k10011806551000.html

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