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新時代を読み解く初心者たちの討論スレー1ー

1:猿都瑠 :

2019/11/13 (Wed) 18:12:40

host:*.kddi.com
メインスレに書き込みたいけど、敷居が高い、考えが纏まった時には別の話題になっているなどなど。

実際にお会いした方々からそのような声があったので立ち上げました。

自身のペースで、そして気楽に疑問質問を、肩の力を抜いて書き込んで下さい。
859:mespesado :

2022/02/23 (Wed) 23:12:57

host:*.eonet.ne.jp

>>858

> 岡 われわれの自然科学ですが、人は、素朴な心に自然はほんとうにあ
> ると思っていますが、ほんとうに自然があるかどうかはわからない。自
> 然があるということを証明するのは、現在理性の世界といわれている範
> 疇ではできないのです。(38頁)


↑ここまでは「数学」ではなく、「自然科学」の話だからよいのです。

 しかし、そこから「数学」の話に入ると…


> 自然があるということだけでなく、数というものがあるということを、
> 知性の世界だけでは証明できないのです。数学は知性の世界だけに存在
> しうると考えてきたのですが、そうではないということが、ごく近ごろ
> わかったのですけれども、そういう意味にみながとっているかどうか。
> 数学は知性の世界だけに存在しえないということが、四千年以上も数学
> をしてきて、人ははじめてわかったのです。数学は知性の世界だけに存
> 在しうるものではない、何を入れなければ成り立たぬかというと、感情
> を入れなければ成り立たぬ。ところが感情を入れたら、学問の独立はあ
> りえませんから、少なくとも数学だけは成立するといえたらと思います
> が、それも言えないのです。


 これはおそらく20世紀の初めに起きた、「数学の危機」のことを指して

いるのかと思います。数学の危機とは、数学の世界で当たり前に許されてい

ると思われていた概念(その中心概念は「集合」という概念ですが)だけを

使った数学の議論の中で矛盾が生じてしまった(有名なものに「ラッセルの

パラドクス」というのがあります)という事件があり、その矛盾を防ぐため

の試みがどうにもうまくいかない。そこで、数学概念の「存在」を証明する

のが無理なら、数学における諸概念の存在を保証することは諦めて、せめて

数学で使える論法に一定の制約条件を置くことによって、数学の推論で矛盾

が生じないことだけなら保証できるだろう、と考えて、多くの数学者が研究

したところ、実は、いかなる制約条件を設定しても、その制約条件のもとで

の数学の無矛盾性を証明すること自体がそもそも不可能であることが「数学

的」に証明されてしまった(ゲーデルの不完全性定理)という事件を指して

いると思われます。

 上記の引用箇所の最後にある「感情を入れなければ成り立たぬ」というの

は、以上のような「数学の基礎付け問題における絶望的状況」に対する岡さ

んの一解釈ですが、これは岡さんだけの意見ではなく、表現の仕方こそ違え

ど数学の論文にはなっていない(そもそもこんな「感情」論は数学の論文に

なり得ませんし)ものの、当のゲーデルをはじめとする多くの数学者の(非

公式な)意見になっているようです。

 しかし、私はこのような意見に対しては異議があります。そもそも数学と

いうのはそれ単体として学問的には閉じていますが、他の多くの学問分野に

おける有用なツールとしても用いられていて、それらの学問分野には固有の

仮説があるのは当然としても、そこで用いられる数学の定理は「絶対的に真」

なものとして使われているハズです。それなのに、その数学の定理が「感情

を入れなければ成り立たぬ」というような、人間の感情のような未解明なも

のに依存し、機械的な客観性を持たない「不確かなもの」に過ぎない、と言

われた日には、「そんな無責任な!」と怒られてしまうのではないでしょう

か。それこそ、私が大学生の時の論理学の講義で教授が話していたジョーク

ではないですが「ある国でロケットを設計して、いざ飛ばそうとしたら飛ば

なかった。色々原因を調べたところ、数学が矛盾していたからだった。」な

んてことがあったのでは堪りませんw

 それじゃあ、本質を突いた数学の基礎付けはどう考えるべきなのか、と言

われると思いますが、この手の問題に対しては、ドイツの研究者であったゲ

ンツェンが示した方向性が本質を突いていると思っています。彼は、2千年

以上前のアリストテレス以来ほとんど進展が無かった「論理学」が、19世

紀にフレーゲによって近代化したものの、その近代的な論理学の各推論がな

ぜ「正しい」のかという問題について、そもそも問題意識さえされていなか

ったのを、「なぜ論理学で昔から許されてきた推論は正しいのか」という問

題を人類史上初めて可視化して定式化することに成功した人です。ですから、

「論理学」の延長線上にある「数学」についても、このまま研究を進めてい

っていれば、かなり本質を突いた数学の基礎付けまで到達できたのではない

かと期待されたのですが、残念なことに、ゲンツェンは第二次大戦で、35

歳の若さでプラハの捕虜収容所で死んでしまいました。

 さて、私が言いたかった真髄ですが、岡さんが述べている数学の本質とは、

決してフランス数学のような「人工的な明晰さ」に求めるべきではなく、も

っと「自然」なものであるべきである。しかし、私の意見としては、それは

決して「感情を入れなければ成り立たぬ」というような、人間の「感情」に

訴えるような方向性で解決すべきではなく、もっと「機械的」というか「無

機的」に定式化されて、真の意味で「客観的」で「絶対的」な正しさが保証

されるべきものだと思っているのです。

 そして、これも私の単なる意見ですが、「数学」を「文化」になぞらえる

なら、「明晰だが不自然に人工的」なフランス数学は、西洋文化の特徴であ

るポリコレみたいなものに見えます。一方、岡さんが本質だと考える「複素

関数論」のような「一部によって全体が自動的に定まってしまう」ような世

界で何が成立するのかを調べていくタイプの数学は、日本人が得意とする職

人芸的世界、すなわち「駒の動きが細かく、世界で一番奥が深いと思われる

日本将棋の世界」、あるいは「職人の技術を吸い上げてロボットに技術を引

き継ぐ日本の精密加工技術」に対応しているように見えます。しかし、数学

の基礎付けのような世界は、日本人が得意とするような「既に長年の経験か

ら来る自然なベースと見做されている土台が与えられている中で本質を追求

する」ような世界ではなく、むしろ西洋科学のような「そもそものベース自

体から改めて考え直す」べき問題であり、しかし、同じく西洋文化に特徴的

な、表層的なポリコレのような「見た目の明晰さ」に惑わされないように注

意しなければならない、という世界のような気がしているのです。これは、

政治・経済の分野において「日本会議」が西洋の浅いポリコレのような世界

は否定しつつも、経験的な自然さは自明の前提にした「あるべき姿」にこだ

わる余り、客観性を犠牲にし過ぎて論理的な誤りに陥っている部分もあるこ

とに違和感を感じたのと類似の感想ではありますが、数学であろうが政治・

経済であろうが、分野を超えて、同じような構図があるような気がしてなら

ないのです。

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