★ 掲示板:『放知技(ほうちぎ)』 ★彡
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2018年元旦,金正恩,五輪外交を開始!平昌五輪を大成功に導く.習近平が金正恩を超国賓待遇!金正恩が米朝首脳会談を提案,これをトランプが即断で受諾!金正恩,板門店から韓国に入り,南北首脳会談.大成功!トランプが5月中の米朝首脳会談を示唆.マティス国防長官が「駐韓米軍の撤退」を示唆!…まさしく激動の2018年だ.この激動の切っ掛けをつくり,激動をリードしてきたのは,金正恩(34)だ!今後も金正恩は世界をリードする!目が離せない.深い考察と議論が必要だ.
(M部長・飯山一郎)
新時代を最先端で読み解く激論スレー39-
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1:堺のおっさん:
2019/11/22 (Fri) 21:14:12
host:*.enabler.ne.jp
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令和の時代に入りますます旧来の構図で世界を捉えることが陳腐化しだしている。
覇権対反覇権、緊縮財政対反緊縮財政。
この2大テーマから世界と日本を見ることの意味は深い。
今スレでは更なる進化を図っていきたい。
なお、mukuの投稿は『座敷牢』スレに限定する。
本スレ以外の投稿も苦情が多いからである。
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177:mespesado
:
2020/01/13 (Mon) 08:01:46
host:*.itscom.jp
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>>176
亀さん、レスありがとうございます。
> 要するに、今の人類が獲得した知識なんぞホンの九牛の一毛にしか過ぎ
> ない、そうした限界を持つ人類が、「この宇宙にある事物・現象につい
> て究明」する姿を見るにつけ片腹痛い、といった表現だったと思います。
かのニュートンが言っていたという言葉と同じですね。
そして、確かにそのとおりなのだけれど、しかし神ならぬ人間が真実を究
明するには「目に見える客観的なデータだけから論理的にものごとを究明す
る」しか他に方法がないではないか、というのが人間の苦悩であり限界であ
る、というわけでしょう。
でも、本当にそうなのか?
確かに「それ以外に方法がないだろう?」という「開き直り」は一見尤も
らしいし、代案なんか出せないような気がするけれど、実はそこに違和感が
あって、何度も引き合いに出して悪いけれど、かの飯山女史。彼女はアカハ
ラが酷くて「それなら徹底的に唯物的に研究することで、(イジメたアカハ
ラ教官たちには)客観的にはどこからも批判できないように究明してやるか
ら見ておれ!」という、一種の「復讐心」が研究に情熱を傾けるインセンテ
ィブになっているように見えるんですね。だけど、そういう「ネガティブな
心」を研究の動機にしていることで、結局は「内面と外面」に対する真逆の
誤解に見られるような「底の浅さ」のような限界を漂わせてしまう。
つまり何が言いたいかというと、いくら手法を客観的にして人間の感情か
ら議論を切り離そうとしたって、所詮研究しているのは人間なのだから、そ
の成果に「人間であることの限界」がどうしても出て来てしまう。
実はそこに「愛」という問題がかかわっていて、研究対象に対する「愛」
があるかどうか。ただし、ここで言う「愛」とは若い人たちの恋愛のような
「執着心」の愛ではなくて、自分の子供に対する見返りを求めない(求める
気なんか最初から無い)愛というか、皆が幸せになると自分も幸せになるよ
うな「愛」のことであって、実は、この「愛」を研究対象に対して持ってい
ると、自然に正解が「天から降ってくる」ような境地というものがあるよう
な気がする。つまり、研究者でも成果を他の研究者と争ったり自分の成果に
己惚れているうちはまだまだであって、そういう執着心を捨てたとき、答は
おのずから降ってくる、というものなんじゃないか、と(研究者でもないの
に生意気ですが)思ってしまうのです。