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金正恩2018年元旦,金正恩,五輪外交を開始!平昌五輪を大成功に導く.習近平が金正恩を超国賓待遇!金正恩が米朝首脳会談を提案,これをトランプが即断で受諾!金正恩,板門店から韓国に入り,南北首脳会談.大成功!トランプが5月中の米朝首脳会談を示唆.マティス国防長官が「駐韓米軍の撤退」を示唆!…まさしく激動の2018年だ.この激動の切っ掛けをつくり,激動をリードしてきたのは,金正恩(34)だ!今後も金正恩は世界をリードする!目が離せない.深い考察と議論が必要だ.(M部長・飯山一郎)
金正恩の真実 金王朝の“深い謎”ビビンバ!北朝鮮!
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混沌に希望を見出す賢者の発信スレー41-

1:堺のおっさん:

2021/01/24 (Sun) 07:25:51

host:*.enabler.ne.jp
どういう訳か、本スレが消えてしまっている。

原因調査を行いますが当面、記事はここにお願いいたします。


前スレはまさに武漢ウイルスという世界を混沌の世界に変え、

希望を打ち壊すまっただ中で国家について検証してきた。

今後の世界に最大の影響を与える一つのイベントである

アメリカ大統領選挙の投票日を3日後に控え、

世界がどちらになるのか固唾をのんで見守っている。

どちらになるにも、選挙自体が混乱し政治的空白が生じる。

こうした局面で真に問われるのは明確な指針である。

日本の進む道を照らす投稿を期待したい。
773:mespesado :

2022/03/25 (Fri) 17:37:40

host:*.eonet.ne.jp

>>770

> 江崎道朗・内藤陽介・倉山満の三氏(年齢順)に共通するのは、彼らは
> 論理派(文献に書かれていることを重視する派)であるのに対して、故
> 飯山さんや小生は直感派(史料には書かれていない情報を見抜くべく、
> 〝行間〟読み取る作業を重視する派)であり


 なるほど、そういうことでしたか。

 真相を究明することが目的の学問に、宗教じゃあるまいし、○○派とか流

派があるのも変ですが、まあ、研究者の得手不得手という意味で研究方法の

「流儀」の違いがある、というのならわかります。

 そこまで納得した上で、それでもなお、更にツッコミを入れさせてくださ

い。「直感派」というのはわかります。本当は、私は「非論理的情報優先派」

と言うべきだと思うのですが、真相究明には、言葉で記述された情報以外に、

非論理的な情報も重要です。例えば古代史学の場合、文献史学は言葉で記述

された情報が主体ですが、考古学の場合、文字が書かれていない出土物を対

象にする場合は、非論理的な情報がすべてですから。実はそういう意味では、

自然科学というのは、実はすべて非論理的な情報を相手にしているとも言え

ます。実験観測結果は言葉で出力されるわけではないですからね。それにも

かかわらず、理論物理学のような学問が最も「論理派」的な学問みたいな印

象があるのは、自然の「非論理的情報」を観察した結果を、研究者が「数式」

という「言葉の極致」たる情報に「翻訳」して「出力」するからでしょうね。

 さて、これに対して亀さんの言う「論理派」というのは、実は、その流派

に属する研究者に対しては誠に申し訳ないキツい言い方になるけれど、「学

問の方法論としていかがなものか」と思うんですね。だって、文字文献にこ

のように書いてある、というだけなら「文献の発見」でしかないじゃないで

すか。問題は、その文献に書かれていることがどこまで史実を反映している

か、あるいは文献に書かれていない事実を、文献を含む各種の非論理的情報

からいかにして抽出するか、ということです。例えば、森博道さんの『日本

書紀』のα群β群の発見は、「漢文が中国風か倭習が強いか」という、一種

の非論理的な情報に着眼したことによる発見なわけです。また、内田清さん

による、中国史書『宋書』に出てくる「倭王武の上表文」の原典が『宋書』

より後に書かれたはずの『晋書』だった、という研究も、一見あり得ない結

論である上に、文全体ではなく単語というか、言い回しが同一かどうか、と

いう半分は非論理的な情報に注目捨ているわけですから、「論理派」という

枠には収まらないと思うのです。

 つまり、亀さんの言う「論理派」というのは、それだけでは学問にならな

い。ただし、じゃあ学問で「論理」が大事じゃないのか、というと、そうで

はなく、自分の発見したことがらを、(数式を含む)言語による論理的な結

論に「翻訳」する作業が研究者として重要な能力ということになると思いま

す。つまり「論理派」であることを是とする研究者というのは、本当は「出

力」の際に重視しなければならない要素を「入力」の際に重視しているとい

う、一種の「勘違い」に留まっているのではないか、とさえ思うのです。

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