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金正恩の真実 金王朝の“深い謎”ビビンバ!北朝鮮!
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【!!必読!!】『日本』という国名の秘密new  『放知技』データベース


鹿之助さん。論点を整理します。

1:飯山一郎 :

2011/01/10 (Mon) 07:38:13

host:*.bbtec.net
鹿之助さん
読みました! 貴殿の長文。時間をかけて真剣に読破しました!
でも疲れは感じない。これは内容が素晴らしいということです。

ただし、論点が多杉。しかも、どれも歴史学上の大難題だ。
こんなに多くの論点を一度に出されると、脳に負荷がかかり杉。
だから、論点を整理しましょ!
 
鹿之助さんが出された論点は、大きく三つある。
ひとつ。天武天皇にまつわる日本建国秘話。
ふたつ。日ユ同祖論。
みっつ。東京皇室と京都皇統の諸問題。 
以上、どの論点も一人の人間が一生かかっても解明不可能だ。
しかし、それを、あなたは一人で一度にやろう! つーんだから、
凄い。強い。若い。
私にも、そんな時代がありました。 夜も寝ないで昼寝して…、
飯も食わずに水飲んで、体を壊して入院しました。馬鹿でした。

鹿之助さんは、私より遙かに頭がEですから、大丈夫でしょう。
ただし、サムライ氏は、大変な学者、それも落合氏に話を聞きに
和歌山まで行き、何泊もされるような行動派の学者。 さらに、
超真面目なインテリゲンチャンなので、難題出すのは適当に。

さて、難題を片付けていきましょう!

ひとつめの天武天皇論。
これは、彼が編纂を命じた記紀、特に日本書紀に、ほとんどの
史実が書いてある。また、中国の史書にも言及がある。さらに
九州の各所に百済の遺物が残り、南郷村には百済博物館が
あるほど。だから、既存の歴史学をひっくり返すのは簡単。
ただし…、
天武天皇以前の日本は、豪族割拠の古墳時代。
だから、直前の推古天皇・聖徳太子などは、実在していたと
しても日本列島の話ではない。
つまり、天武天皇以前の歴史は、すべて百済国の歴史書の中
に書かれた内容を「転写」したもの。
したがって…、
日本国も天皇制も、全ての歴史は、天武天皇と共に藤原京
から始まった。
つまり…、
天武天皇以前に、「天皇制日本国」の歴史はない!」
  ↑この真理! が、なかなか理解されない。

ふたつめの日ユ同祖論、
これは、説得力のある学説が沢山あるのですが…、
系図が似ているとか…、
ヘブライ語で読むと、見事に解釈できるとか…、
皇室にも、ユダヤ由来の事物が散見されるとか…、
どれもこれも、憶測や推測の域をでてない。
日ユ同祖を証明する確固とした証拠がないのです。
どうします?

みっつめの、京都皇統論。
これは、サムライ氏に時間ができれば、しっかり論じられるはず。
私も、『金王朝の“深い深い謎”』で、具体的に書く所存。
乞御期待!
                            飯山一郎
3:飯山一郎 :

2011/01/10 (Mon) 18:08:55

host:*.bbtec.net
鹿之助さんの今回の投稿は、奇想天外の珍説が多いです。
ですが、ま、自由奔放な人柄を存分に発揮され…、
憶測、推測、伝聞、伝説、異説、自説、仮説、想像…、
色々様々、彩色豊かな想念が闇鍋(やみなべ)ゴッタ煮に
なっています!
その歴史哲学の叙述はとどまる所を知らず、誠、稀有壮大です。

ただし鹿之助さん。
貴殿の論述は…、
「誉田別」の「ホムタ」はヘブライ語の(ホマタ)が語源とか…、
「スメラミコト」は、シュメール文化圏の言葉とか…、
「ホムタノスメラミコト・ヒロハタ・ヤハタマロ」 はユダヤ語とか…、
と、語呂合わせの独善的な解釈が多いです。
また…、
イエスが磔になった十字架が伊勢神宮の内宮地下殿にある…、
といった解説は、トンデモ伝聞伝説の類です。
「応神天皇とイエス・キリストの関係」も、私には珍説にすぎない。

歴史学者でなくても…、
千人千色の歴史解釈のなかで、万人納得の史実は提示可能です。
たとえば、貴殿の論述中に出てくるの応神天皇稜と誉田八幡宮。
この神社に、私は近鉄線を乗り継ぎ、何度も通った。
そして、私は、誉田八幡宮の境内で、大発見をした。
★日本という国家が、百済国の継承国家だということ。
★その百済は、朝鮮半島の南部(定説)ではなくて、はるか満州の
  遼寧省朝陽市(昔の柳城)にあった!
ということ。

このことは、ここ↓に書きました。
http://grnba.com/iiyama/html/16kodaisi.html#RyoNei
 ↑これは、万人納得の史実につながっていきます。

歴史を語るとき注意すべきは…、
憶測や推測で語るのではなく…、
確かな文献と証拠をキチンと押さえた上で語る!
ということだと思うんです。

いかがでしょうか?>鹿之助さん<飯山一郎

2:鹿之助 :

2011/01/10 (Mon) 15:22:59

host:*.plala.or.jp
飯山一郎様

超ご多忙の折り、さっそく小生の愚説についてコメントをいただき、お礼を申します。
さすが、頭脳明晰の飯山さんは小生の愚問を3つの論点に分けられましたが、東京皇室と京都皇統の諸問題はサムライさんマターなので、天武天皇にまつわる日本建国秘話と日ユ同祖論について、少々長いですが小生のコメントを追加します。

(A)天武天皇にまつわる日本建国秘話

小生は、古田武彦氏の九州王朝の倭国説に賛同しています。
唐・新羅による660年百済滅亡及び663年白村江の敗戦で九州王朝(倭国)が衰亡し、645年いわゆる「大化の改新」で飛鳥王朝簒奪していた天智天皇が唐の承認を受けて九州王朝を乗っ取り、新羅(天武天皇の子の文武天皇)の援助をうけて「壬申の乱」で天武天皇が即位し、百済出身の天武天皇が、存命中に完成しなかったが百済の歴史と簒奪した九州王朝(倭国)歴史により古事記・日本書記作成を指示したと思っています。
つまり、「古代天皇家と日本正史」中丸薫著によれば、天武天皇はシュメールから騎馬民族「スキタイ」に引き継がれた万世一系・現人神の概念による天皇制中央集権支配体制確立、伊勢神宮整備よる天孫降臨説話等の神話確立を行い、日本国つくりを促進している。

日本書紀の編纂をすすめていた当時の天皇は、天武天皇の皇后である天智(百済王子・翹岐)の娘・宝姫(持統女帝)で、それを監修していた藤原不比等は、持統女帝を持ち上げ媚びて、女帝統治の正統性を強調するために皇祖神を女神・アマテラス(大日靈尊:向津姫)に据え換えた。 例えば本来の皇祖神・天照御魂大神は、男神である諡号「天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊」(あまてらす・くにてるひこ・あまのほあかり・くしたま・にぎはやひのみこと)の饒速日尊であるが、日本書紀成立時に出雲系須佐之男尊と饒速日尊の建国史実は神代の神話にして誤魔化し、天孫降臨説話とするために神武天皇の祖母である邪馬台国女王日霊女貴尊(卑弥呼)を天照大神にすり替えた説が有力です。
その為に日本書紀の編纂途上、持統天皇は五(691)年八月十三日、須佐之男尊や饒速日尊を祀る大神神社や石上神宮の斎主だった三輪氏や物部氏をはじめ、十八氏に古記の提出を命じて没収し、さらに元明天皇即位した和銅元(708)年正月、天下に大赦を出し「ただし山沢に亡命して禁書を隠し持っている者は百日以内に自首せよ。さもなくば恩赦しない」という詔勅を出しています。

ところで、百済・武王は中央アジア王族、百済武王妃宝(皇極・斉明天皇)は中央アジア亀滋にルーツを持つ金官伽耶王族金氏出身とあるが、百済は武王に簒奪されたのか? 
また、エフライム族とツングース族から成る扶余(プヨ=フヨ=フル=ヘブル=エフライム)族出身の朱蒙が高句麗建国し、朱蒙の次男温祚によって百済建国とされているが、武王の王子である天智天皇、天武天皇は扶余族末裔の百済王族ではないのか?という疑問があります。

尚、古事記は「古事記に隠された聖書の暗号」石川倉二著のように、原始キリスト教徒ユダヤ人の秦氏がもたらした旧約聖書・新約聖書と魏志倭人伝等の中国正典をベースに、蘇我馬子・聖徳太子が推古28(620)年に撰録した天皇記・国記がベースになっている説に賛同しています。
 
尚、九州王朝(倭国)末裔は下記のように現在も稲員家として存続しているそうです。
自由のための「不定期便」 http://adat.blog3.fc2blog.us/
「自由と民主を奪い返すためのレジスタンス」の会 http://www3.kitanet.ne.jp/~nihirata/index.html
 
「倭の五王」とはだれか:真説編(8)
 髙良山「古系図」の分析に戻る。
②高良玉垂命神(旨)―(2代)→朝日豊盛命神
 髙良玉垂命が高良山に来臨したのが仁徳55年(367)であることは、大善寺玉垂宮の由緒書により、すでに私(たち)の知るところであるが、高良山「古系図」にも「仁徳天皇治天五十五年九月十三日」という注記がある。古田さんもこれを倭国の「遷宮」と考えている。古賀さんの説くところ同じ判断をしている。

 中国の南北朝分立(316年)以後、高句麗と倭国は対立し、撃突した。その危機(高句麗の来襲)を怖れ、博多湾岸中心の「倭国」(弥生時代)は、その中枢部をここ高良山へと移動させたようである。それが右の「仁徳55<皇暦>」(367)だ。
それ故、高良大社は、この「高良玉垂命神」を以て「初代」とする。
七支刀を贈られた「倭王旨」とは初代玉垂命にほかならない。

髙良山古系図はこの後、「九躰皇子」の第二子・朝日豊盛命神を「元祖」として展開していく。改めて「九躰皇子」の名称を記す。
(1)斯礼賀志命神 (2)朝日豊盛命神(讃) (3)暮日豊盛命神(珍) (4)渕志命神 (5)谿上命神 (6)那男美命神 (7)坂本命神 (8)安子奇命神 (9)安楽応宝秘命神

③物部日良仁光連―(6代)→日往玉尊連
 この世代はいずれも、末尾が「連(つら)」(「むらじ」ではない。)という称号で結ばれている。
(1)物部日良仁光連(済)→(2)日往子明連(興)→(3)日男玉頼連(武)→(4)神力玉依連→(5)日光玉一連→(6)日往玉尊連
 この世代の名称に使われている「連」について、古田さんは次のように解読している。
「連(つら)」は、「津ら」であり、「ら」は「うら」「そら」「むら」などの「ら」である(「ぼくら」の「ら」と同じく、複数形か。力石巌 氏の説。)。“港の支配者”の意の称号、「海洋民族(海人<あま>族)の長」である。

次の系図④の世代は「連」のあとに「和風一字名称」を添える時期である。
④日明玉連尚―(20代)→公賢皇連岩
1.日明玉連尚→2.舎男連常→3.日柱男連廣→4.大直連俊→5.大全神連親→6.日天男連信→7.大長津連秀→8.大勝津連平→9.神仲熊連豊→10.神天子連家AD589即位 多利思北孤→11.神道天連良→12.神司宮連法→13.神天仲連就→14.神頭国連軌→15.神斗玉連仍→16.神面土連篤AD663薩夜麻→17.賢名皇連忠→18.意賢皇是連→19.賢天皇兼連→20.公兼皇連岩

③の6名と④の20名の名称に共通するものとして古田さんは『「神道式戒名」とも言うべきもの』をあげている。そして、この「神道式戒名」という概念が「今回、わたしがこの「古系図」の史料分析をなすべき基礎概念となった」と言う。
仏教において、死後「戒名」の贈られること、周知のごとくである。「~院~居士」等の類である。これに対し、神道では「おくり名」(貴人)や、「霊璽」のあることも、当界では知られている。
これに比し、高良山(大社)の場合、明治維新の「神仏分離」以前は、神仏習合の時代だ。「大祝」(神道)と「座主」(仏教)の両者並存であったこと、周知のごとくであるから、その時間帯の中で、「おくり名」としての「神道式戒名」が存在したとしても、何等不思議ではない。
 仏教の「戒名」でも、その中には“生前の業績や遺業”を、一部分に挿入すること、一般によく知られている。従って「神道式戒名」もまた、「戒名」の一種であるから、この類の一部挿入、もしくは業跡の反映があった、と考えても、決して不自然ではない。

 以上の前提に立って、④の「一字名称」を次のように分析している。
このような「和風一字名称」(倭の五王)、そして先述の「仏教的一字名称」(「利」)との間には、命名文化上、何等かの「相関関係」あり、と見なすこと、十分に可能なのではあるまいか。中国的文化(一字名称)の影響である。
 この点、記・紀に現われた、近畿天皇家の「天皇名称(おくり名)」には、その痕跡乃至“同類表現”を見ることができない。この点と、好対照である。

 ④の「10.神天子連家」AD589即位がある。「天子」の二字が含有されているのは、この一例だけだ。「日出ずる処の天子」を称した多利思北孤との関連が注目されよう。

 次に目立つのは、同じく④の「16.神面土連篤」AD663白村江敗戦である。
「面土」には“郷土に向う”“郷土にそむく”の意味がある。更に「面縛」の術語がある。
「面縛」; 両手を後に縛り、面を前に向ける。

 周の武王、紂を伐ち殷に克つ。微子乃ち其の祭器を持ち、軍門に造(いた)り、肉袒・面縛し、左に羊を索(ひ)き、右に茅を把(と)り、膝行して以て告ぐ。<史記、宋微子世家>
 この語は“王者が降服する際の儀礼”をしめす。この人物の「神道式戒名」に、他に例のない「面土」の表記が入っているのは、或は“降服した王者”であることを、一字もしくは二字として「反映」させているのではあるまいか。唐側の“捕虜”として年月をすごし、帰来をようやく許された、あの薩夜麻、筑紫の君である。(日本書紀の天智10年11月、及び持統4年10十月項) 他にも、今後、史実との関連の指摘されうる事例を見出すことが可能であると思われる。
 ④の次の世代・系図⑤は「麻呂」という、明白に「臣下の位階」をしめす称号となっている。

⑤高麻呂連時―(26代)→星明麻呂保重
 ④の終り「20.公賢皇連岩」と⑤の冒頭「高麻呂連時」の間には、「皇」=「天子時代」と「麻呂」=「臣下時代」という画然たる落差がある。これを古田さんは『旧「倭国」と新「日本国」との画期線』ととらえている。つまり、701年の権力交代を示している。

 このような“名称上の一大落差”を、後人がみだりに「仮構」しうるものではない。すなわち、他に非ず、史実の反映である。 以上の史料批判により、髙良山「古系図」と稲員家「古系図」は、史実を反映した史料として使用できる重要な記録であることが分かった。


(B)日ユ同祖論について

今後、民主党政権に見られる日本の意思決定能力の喪失と日米同盟の破棄(or有名無実化)に伴い、中東、朝鮮半島その他での大規模な有事や、中国扇動による国内での暴動・内乱、さらには米国(合衆国政府)の崩壊などで米国が日本の面倒などみていられない事態が発生すると、中国、北朝鮮、ロシアといった国々が日本を蹂躙する可能性があり、その時に神社・仏閣、天皇陵などが破壊される事態が起こる可能性があり、その際に伊勢神宮、諏訪大社、仁徳天皇陵などから古代ユダヤ関連の秘宝が発見され、失われたイスラエル十支族が日本に渡来してエフライム族が天皇家になったことが証明されると思います。

少々長いですが、下記の情報を参考にして下さい。

●神武天皇から崇神天皇までの神器は、饒速日命が天降る時、天つ神の詔をもって、「もし痛む処あらば、茲の十宝をして、一二三四五六七八九十と謂いて、布瑠部由良由良止布瑠部。此く為さば、死人も生き反えらん」と教え諭して授けられた天璽瑞十種と、総長八十九・六センチ、中国の漢代の素環頭鉄刀である八岐大蛇を斬った天羽羽斬剣(あめのははぎりのつるぎ)の神宝二種であったが、崇神天皇七年、宮中より現地の石上布留高庭に移し鎮め祀ることにしたので、その後の古代天皇家に神器はなかったことになる。
天理市布留町布留山にある石上神宮は一名、布留社とも呼ばれ、大神神社とならんで日本最古の神社といわれている。スサノオがニギハヤヒを大和に送り込むときに授けた十種神宝(とくさのかんだから:瑞宝十種ともいう)と、スサノオがヤマタノオロチを退治したときの布留御魂剣が祀られているという。
 これは、石上神宮の拝殿後方、中央の土中深く磐坐が設けられ二つの宝が埋斎されていると、古くから伝えられてきたが、明治9年に発掘が行われ、伝え通り布都御魂剣と管玉勾玉きの数々の宝物が発見されたという。
従って、熱田神宮にあるとされる「草薙の剣」いわゆる八岐大蛇を斬った天羽羽斬剣(あめのははぎりのつるぎ)はないことになる。
恐らく、応神天皇時代に、飛鳥説のようにイスラエルの至宝「マナの壷」「アロンの杖」「契約の箱」が秦氏によって持ち込まれ、エフライム族主体の十支族の北イスラエル王国とユダヤ族主体の二支族の南ユダ王国の統合された古代イスラエル統一王国再興(日本天皇家)の象徴として三種の神器になっているのかもしれない。

●応神天皇の名前に秘められた天命

日本書記において誉田天皇と称され、八幡神として祀られている応神天皇の諡号には、「誉田別」(ホムタワケ)や「誉田天皇広幡八幡麿」(ホムタノスメラミコト・ヒロハタ・ヤハタマロ)があります。前者は古事記において、同じ「ホムタワケ」という発音に「品陀和気」という異なる漢字が当てられています。これは「ホムタワケ」が外来語であり、漢字が任意に当てられていることを意味しています。一見、日本語として不可解な「ホムタワケ」という発音ですが、ヘブライ語で読むことにより意味が明確になるだけでなく、応神天皇の使命と、そこに潜むイスラエルとの繋がりを見出すことができるのです。
 まず、「誉田別」ですが、「ホムタ」はヘブライ語の を語源とした (ホマタ)です。この言葉は「壁」や「城壁」を意味し、特に「神殿を囲む城壁」「神殿を守る壁」を語る際に使われました。また、ヘブライ語には「すぐに立つ」「最初にできる」という意味の (bakar)という言葉があります。さらにその語源から (bekor)という「初子」「長子」の意味の言葉や、その母音が変化した (beker)「バケ・ベケ」という「初子」「新しい実」「最初にできる」という意味の言葉が聖書で使われています。
この「バケ」が「ホムタワケ」の「ワケ」にあたる語源と考えられます。イスラエルの民にとって、城壁を修復し立ち上げるということは神殿の再建を意味する為、「ホムタワケ」とは「城壁を最初に建てよ」、つまり「新しい都を造営せよ」という意味だったのです。
 応神天皇のもう一つの諡号である「誉田天皇」(ホムタノスメラミコト)には、天皇の称号として用いられる「スメラミコト」の読みが含まれています。この言葉は以前紹介した通り、西アジアの「シュメール文化圏から渡来した開拓者」という意味であり、開拓者とは「天下る神の人」を指しています。古代メソポタミアに「ウル」と呼ばれたシュメール人の都市国家があり、イスラエルの先祖であるアブラハムは、そのウルの生まれです。
 イスラエルの民は、シュメール地域を経由して長い年月をかけてアジア大陸を横断し、日本に渡ってきたことから、シュメールの「ウル」は正にイスラエルの民にとっては先祖の故郷であり、発祥の地でもありました。
次に「広幡八幡麿」の「広幡」(ヒロハタ)ですが、これはヘブライ語で「ユダ族の丘陵」「ユダ王国の丘」を意味する (ヒリフダ)と発音する言葉が変化して「ヒロハタ」になったと考えられます。そして「麿」もしくは「麻呂」(マロ)の語源は (メロ)であり、「満ちる」「多くの」を意味します。
つまり八幡麿(ヤハタマロ)とは、「八幡」がユダ族ですから、「大勢のユダ族」という意味になります。それ故、「誉田天皇広幡八幡麿」(ホムタノスメラミコト・ヒロハタ・ヤハタマロ)とは、「大勢のユダ族が住む王国の丘陵に(初代)神殿を造営する神の人」を意味する言葉だったのです。

●飛鳥説によれば、
「マナの壷」は「八坂瓊勾玉(やさかにの まがたま)」として天皇が所持しており、現在皇居内部の「賢所(かしこどころ)」に安置されている。      
「アロンの杖」は「草薙の剣」として熱田神宮の御神体として安置されている。                  「十戒の石板」は「八咫の鏡」として伊勢神宮の内宮に祀られている
「契約の箱」は明治天皇によって封印され伊勢神宮の内宮にある。

●中矢伸一著「日月神示 岩戸開きの胎動」、その他の著書に面白いことが書かれていたので紹介します。 
世界一の超能力者の異名をとるブルガリア人のベラ・コチェフスカ女史が伊勢神宮参拝の折、興味深いことを証言している。

1) 伊勢神宮の外宮にヤハウェが祀られている(コメント参照)
2) 伊勢神宮は大変な聖地であり世界中の誰もが参拝に来て祈りを捧げなければならない。ここは人類のすべてにとって聖地である。
3)日本列島の周辺は聖的なバリヤーのようなものがあって、それで覆われている。
4)日本は地球のヘソのようなもので宇宙からエネルギーを一番ストレートに受ける特別な聖地である。
5)日本は混乱の世紀末から次の世紀にかけて人類が平和を取り戻していく過程でとても重要な役割を果たすだろう。
6)イスラエル十支族のうち、いくつかの支族が日本に来ている。
7)4代目の女帝に子供が授からなかったので密かにユダヤの末裔と婚姻が行われたと言っている(コメント参照)

<コメント>
1) に対するコメント・・・ 伊勢神宮の外宮は豊受大神が祀られているが実は天之御中主神と同一神である。籠神社の極秘伝によると奈良時代以前の日本には唯一神の信仰が存在したとされている。豊受大神を絶対神としていたということである。古代日本に失われたイスラエル十支族と原始キリスト教徒が渡来したことを考えると豊受大神=絶対神ヤハウェであり、ベラ女史の霊感は正しかったといえる。

7)に対するコメント・・・4代目の女帝は持統天皇である。初代の女帝は推古天皇、2代目は皇極天皇、3代目は斉明天皇、4代目が持統天皇である。(皇極天皇と斉明天皇は同一人物であるため持統天皇は3人目である。)
持統天皇は天武天皇の「記紀」編纂事業を継承し、ブレインである藤原不比等と国仕掛けをほどこした。天照大神が皇室の祖先の神であるとする信仰は天武・持統天皇の時代に成立し、朝廷は伊勢神宮の内宮に天照大神を祀った。 さらに唯一神信仰から八百万の神々への信仰へと無理やり変更させたのである。

*持統天皇と藤原不比等の関係
持統天皇の孫の軽皇子が文武天皇となり、その后に藤原不比等の娘、宮子がなっている。また文武天皇と宮子の子が聖武天皇となり、その后に不比等の娘、光明子がなっている。聖武天皇と光明子の子が女帝・孝謙天皇である。
藤原不比等は大化の改新の立役者である藤原鎌足の子であり、ユダヤの末裔である。天皇家とユダヤが結ばれたことは明らかである。

●日本は地震と火山による電磁波で守られている

この電磁波が日本列島の周辺に聖的なバリヤーのようなものとなって、それで覆われている!
日本は地球のヘソのようなもので宇宙からエネルギーを一番ストレートに受ける特別な聖地である!

日本の周辺は5つのプレートテクトニクスがあり、それらはあたかも地球のへそのようなもので、電磁波が異常に大きいから宇宙からエネルギーを一番ストレートに受けやすい。
そして、地球上において日本の周辺は絶えず小さな地震や火山活動があるので磁場が大きいのではないかと思われる。
つまり、日本の周辺は5つのプレートテクトニクスがあり、互いに押し合って摩擦により断層のズレなどによって花崗岩などの岩が破壊され、絶えず小さな地震が発生し、同時に電磁波が発生(ピエゾ電気効果)して地電流に変化をおこす。
さらに低周波が発生したり、地下水が移動したり、磁場が変化したり、帯電エアロゾルなる静電気を帯びた粒子が空気中に発生し、地震雲を発生させている。
更に、火山のマグマ活動により電磁波が発生(ピエゾ電気効果)して地電流に変化をおこす。さらに低周波が発生したり、地下水が移動したり、磁場が変化したり、帯電エアロゾルなる静電気を帯びた粒子が空気中に発生し、地震雲を発生させている。

●国仕掛けを命じたのはイエス・キリストである

1)イエス・キリストの命によって日本は築かれた。

これは聖書にあるイエスの言葉である。
「私はイスラエルの失われた子羊以外には遣わされていない」(マタイによる福音書第15章24節)
「私には、この囲いに入っていない他の羊もいる。その羊も導かねばならない。その羊も私の声を聞き分ける。こうして羊は1人の羊飼いに導かれて一つの群れになる」(ヨハネによる福音書第10章15~16節)
<コメント>
イエス・キリストは失われたイスラエル十支族を導くと宣言している。さらに「失われた羊も私(イエス)の声を聞き分け、1人の指導者(応神天皇)に導かれて1つの群れになる(大和朝廷=日本を築く)」と言っている。

2)応神天皇とイエス・キリストの関係

故・高橋信次先生は「太陽系霊団の系図」を発表し、数ヶ月後に他界された。
それによると真のメシアであるエル・ランティーの光の分霊としてアガシャー(イエス)・カンターレ(ブッタ)・モーセが救世主(メシア)として9次元世界にいる。
これが絶対神である。
アガシャーはエル・ランティーをエホバと呼び、カンターレはブラフマンと呼び、モーセはヤハウェと呼んだ。
それゆえエル・ランティー=エホバ=ヤハウェであり、エル・ランティーの光の分霊がアガシャ-であるため、エル・ランティー=アガシャ(イエス)となり、ヤハウェ=イエスとなる。
応神天皇はヤハウェが降臨しイエスであることを告げた為、応神天皇はヤハウェ=イエスと認識できたのである。イエスの命により応神天皇は日本の基盤を築いたのである。応神天皇は神(イエス)の命に応じた天皇という意味である。

3)イエス・キリストが国仕掛けを命じたのは日本の存在を世界の目から隠すためである。

イエスはアカシックレコード(過去・現在・未来の出来事がイメージにより記録されている)を熟知しているため、ルシフェル(サタン)の目を欺くため日本に国仕掛けを命じたのである。
もし三種の神器や契約の箱の存在を隠さずにいて、日本人が失われた十支族であると世界に向かって主張していたら間違いなく闇の権力により秘宝は強奪されてしまうだろう。そして闇の権力が契約の箱の占有権を主張して世界の王であることを宣言するかもしれない。
そのようになればサタンの思う壺であり、イエスの再臨は実現しない。
イエスの再臨(天照大神の降臨)が実現するためには条件があるからだ。
契約の箱・三種の神器、その他の要件を完備しなければイエスの再臨は実現しない。それゆえ終末の日まで世界の目から隠す必要があったのである。

●伊雑宮(いざわのみや)の秘密

1)イエスが磔になった十字架は丁形をした十字架だった。丁形十字架の上に罪状板を掲げた為、全体で十字のような姿になったのが真相である。
ローマ人は十字架を処刑の道具としか考えない。しかしユダヤ人原始キリスト教徒にとっては全人類の贖罪の象徴であり、イエス・キリストのシンボルである。
それゆえ聖十字架を運び去ったのである。
聖十字架はエルサレム教団と共に第1次ユダヤ戦争勃発直前にエルサレムからヨルダン河東岸のペラへ持ちこまれたとみて良い。
そしてシルクロードを東に進み日本列島に持ちこまれたのである。
2)現在、聖十字架は伊勢神宮の内宮地下殿にある。聖十字架は2000年たってもまったく腐敗せず真新しい木材のままである。
伊勢神宮が絶対三神にちなんで三宮から成り立っていることを隠すために伊雑宮を封印したのである。本当の伊勢神宮は伊雑宮である。
伊雑宮を「生命の樹」の右側(慈悲の柱)とするために内宮と外宮を設置した。その上で慈悲の柱そのものを封印したのである。
奥義を解き明かす鍵を内宮と外宮の「心御柱の正中はずし」として暗示したというのが真相だった。
3)聖十字架において、イエス・キリストの名前を記していたのは罪状板のみである。現在、伊雑宮に納められている御神体は罪状板である。
罪状板には「ナザレのイエス、ユダヤ人の王」と書いてあった。
伊雑宮が本宮になるのは天照大神(イエス)の名を持っているからである。
4)伊勢三宮が三種の神器をすべて所持したとき伊勢神宮の構造そのものが大変革する可能性がある。
伊雑宮に聖十字架があった以上、最終的には聖十字架は伊雑宮に戻される。そして聖十字架には罪状板も据え付けられる。
その下には契約の箱が置かれることになる。
三種の神器が伊勢神宮の内宮に「アロンの杖」、本宮となる伊雑宮に「十戒石板」、伊勢神宮の外宮には「マナの壷」が安置されると考えられる。
これらの条件がととのった時、イエスの再臨(天照大神の降臨)がなされるのである。

●「日本」という文字の秘密

日本の国旗は日の丸である。赤い丸は太陽を意味し、天照大神=イエス・キリストを表している。旗竿の先にある金玉は金鶏、柄の部分の白黒のストライプは八咫鳥を象徴している。
「日本」の文字には十字架が隠されている。
「日」は太陽であり「本」という文字は「大」と「十」から成る文字である。
それゆえ十字架に人体を意味する「大」が磔になった状態を表している。
つまり日本という文字は天照大神(イエス)が十字架に掛かったことを象徴しているのである。
又、「日」は「O」であり、本は「十 」である。
陽と陰である。
阿吽の「あ」と「ん」は日本語の50音では最初と最後の言葉となる。
イエス・キリストは自らを指して「アルファにしてオメガである」と述べている。
従って「日本」という文字はイエス・キリストを意味しているのである。
「日本」はイエス・キリストの国ということである。
それゆえイエス・キリストと千年王国を築くのは日本人が中心にならざるをえないのである。 

●伊勢神宮の護符にある「蘇民将来」の意味

伊勢神宮の護符には 「蘇民将来」が必ず記されている。漢字の意味を解くと「未来において、この民は再び目覚め蘇る」という意味である。
蘇民とはヤハウェによって選ばれたイスラエル人にほかならない。(日本人を意味している)
自分達の国にヘブライの奥義が無限に隠されていることに気付くということである。
日本人がイスラエルの血を引く者であり重大な使命を担っていることを知るときが来るということである。

つまり、このときにアインシュタインの予言が成就するかと思います。

アルバート・アインシュタインの名言

※(アルバート・アインシュタインが大正11年11月16日から40日間にわたり、日本滞在中に書き残した手記)

近代日本の発達ほど世界を驚かしたものはない。
世界は進むだけ進んでその間、幾度も闘争が繰り返された。
最後に闘争に疲れる時が来るだろう。
そのとき人類は、誠の平和を求めて「世界の盟主」を上げねばならない時が来るに違いない。
この「世界の盟主」になる者は、武力や金力ではなく、あらゆる国の歴史を超越した最も古く、また、尊い家柄でなくてはない。
『日本の御皇室』のように。
世界の文化は、アジアに始まってアジアに帰り、
それは、中国や韓国でなく、アジアの高峰である『日本』に立ち戻らなければならない。
われわれは、神に心から感謝する。
天が我々人類に『日本』という尊い国を作っておいて下さったことを・・・・


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