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2018年元旦,金正恩,五輪外交を開始!平昌五輪を大成功に導く.習近平が金正恩を超国賓待遇!金正恩が米朝首脳会談を提案,これをトランプが即断で受諾!金正恩,板門店から韓国に入り,南北首脳会談.大成功!トランプが5月中の米朝首脳会談を示唆.マティス国防長官が「駐韓米軍の撤退」を示唆!…まさしく激動の2018年だ.この激動の切っ掛けをつくり,激動をリードしてきたのは,金正恩(34)だ!今後も金正恩は世界をリードする!目が離せない.深い考察と議論が必要だ.
(M部長・飯山一郎)
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1:(削除)
:
2021/09/04 (Sat) 09:10:32
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194:mespesado
:
2022/01/24 (Mon) 18:48:28
host:*.eonet.ne.jp
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>>193
そもそも憲法に「国民の」義務が書かれていること自体がおかしい、とい
う議論がある。確かに今の憲法は、その立て付けとして、主権者である国民
から主権を奪おうとする勢力を牽制するためのものだ、という立場からする
と、主権者である国民の「権利」ならともかく、「義務」を規定するとは何
ごとだ!というのは一理ある、というか、尤もだと思う。で、3つの義務の
うち、「勤労の義務」もこのブルシットジョブの時代にどうかと思うけれど、
「納税の義務」ももっと意味不明。なぜなら、勤労の方は、国民が誰も働か
なくなっちゃったら供給が失われてしまうから、まだわからなくもないけれ
ども(それでも原則国民全員に課すべきものでもないだろう)、納税の方は、
現代の不換貨幣制度の下では「税金は予算の財源」じゃないんだから、納税
は国家の維持に必須でも何でもない。そんな必須でもないものを義務にして
いること自体がおかしい、というのは至極ご尤も。残る教育を受けさせる義
務の方も、外患に対抗するため富国強兵で、国を運営するのに必要な人材を
育てる必要があったが必要だった明治ならいざ知らず、単なる個人のキャリ
ア獲得の手段になり果てている現代の教育を「義務」にすることに何の意味
があるか、というのもまこと正論だ。要するに、国民の義務を憲法に明記す
る必要が無いどころか(例えば権利と義務は表裏一体だ、とかいうイデオロ
ギーと一緒に)国民に義務というものは課せられて当然だ、という考え方自
体が最早時代遅れであろう。