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金正恩2018年元旦,金正恩,五輪外交を開始!平昌五輪を大成功に導く.習近平が金正恩を超国賓待遇!金正恩が米朝首脳会談を提案,これをトランプが即断で受諾!金正恩,板門店から韓国に入り,南北首脳会談.大成功!トランプが5月中の米朝首脳会談を示唆.マティス国防長官が「駐韓米軍の撤退」を示唆!…まさしく激動の2018年だ.この激動の切っ掛けをつくり,激動をリードしてきたのは,金正恩(34)だ!今後も金正恩は世界をリードする!目が離せない.深い考察と議論が必要だ.(M部長・飯山一郎)
金正恩の真実 金王朝の“深い謎”ビビンバ!北朝鮮!
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【!!必読!!】『日本』という国名の秘密new  『放知技』データベース


新時代を冷徹に読み解くおっさんたちの激論スレー37-

1:堺のおっさん:

2019/02/16 (Sat) 13:43:18

host:*.enabler.ne.jp
いよいよ二回目の米朝首脳会談が迫ってきた。金正恩とトランプというこれまでにない
国家指導者が作り出す新たな****面は我々の固定概念を打ち砕くであろう。
北朝鮮が途轍もない経済発展を成し遂げることは、覇権争いにも大きく影響する。
自立した朝鮮を悲願とする金正恩は、まだ、若干35歳である。10年どころか、
30年先まで国家指導者として君臨しうる。時がたてばたつほど、この若さは武器となり、
10年先までしか見通せない指導者を凌駕していくことであろう。
その片鱗を見通していくスレッドになることを期待する。
390:mespesado:

2019/04/20 (Sat) 21:18:12

host:*.itscom.jp

>>386


> ここでもう一次元上から見渡すに、目に入ってくる言霊の一つが「霊性」
> です。


 私は、おそらくこの「霊性」というのも生物学的な根拠を持つものと考え

ています。「もう一次元上」というのも、件の「男系・女系」問題が遺伝子

情報のうちでも性染色体だけに限った話であるのに対し、そのような狭い情

報に限定しない、という意味で「次元」が上になるのだろうと思います。こ

の問題について、まだ完全ではないですが、現時点で思う所を述べてみます。

 はぐらめいさんのブログ「移ろうままに」の過去記事↓

https://oshosina.blog.so-net.ne.jp/2019-02-21-2

のコメント欄に、次のような「ナショナリズム」に関する投稿がされていま

す。↓

--------------------------------------------------------------------
【前略】ナショナリズムを定義するのはなかなか骨の折れることですが、日
本的ナショナリズムと西洋のナショナリズムでは大きな質の相違があるよう
に思います。

西洋ナショナリズムは、言ってみれば、フランス革命の中で、ローマ教皇か
らの独立から生まれたもと理解しています。そもそも、ヨーロッパでは、諸
国に主権は存在せず、主権は教皇のもとにあったのです。その教皇から主権
を奪う過程で生まれたのがナショナリズムであったと、門外漢ですがそのよ
うに理解しています。帝国主義の時代、ナショナリズムは富国強兵を担うも
のとして機能していましたが、大戦後は、逆に植民地の独立の精神的支柱と
なっています。

言ってみれば、ナショナリズムの歴史は浅く、かなり曖昧なものとして捉え
られます。それも当然で、ナショナリズムの大本である国自体が確固として
存在した例はさほど多くないように思います。ヨーロッパ自体、国は王朝の
領土という意味しかなかったようです。この辺は、かなり曖昧な知識によっ
て書いていますが、中国の場合は少しは確信をもって言うことができます。
そもそも、中国全体は国というよりは、一つの世界といった方が適切です。
中国は、他民族によって構成された世界であり、ナショナリズムが生まれる
土壌はありませんでした。実際、隋・唐・元・清の歴代王朝は、漢人からみ
れば異民族が支配する王朝でした。現在は、漢人が中心となった中国共産党
が支配していますが、50以上の民族を抱え、このような状態でナショナルア
イデンティティが形成されるはずはなく、中国にはナショナリズムは存在し
ないと断言することができます。それ故、中国人は中国を捨てることに何の
痛痒もなく、また逆に他の民族を併呑することに罪悪感もないのです。

日本は、かなり特殊な国であるといえます。歴史が始まった以来、私たちの
住む所は国であり、渡来人等を含めた日本人の国として、固いナショナルア
イデンティティの絆で結ばれた国として存在してきました。摂関政治の時代
でも、武家政治の時代でも、幕藩時代でも、明治以降の近代国家でも、この
ナショナルアイデンティティは疑いもなく維持されてきたのです。

私たちのナショナリズムは、こうしたナショナルアイデンティティに基づく
ものでなければなりません。ナショナルアイデンティティは遠い祖先から現
代までに徐々に育まれてきたものですから、ナショナリズムは現代人だけの
ものであっていいはずがありません。いわば先祖の知恵の総体とも言うべき
ものを基礎においたものでなければならないはずです。そこに私たち保守の
よって立つ基盤があります。

こうしたナショナリズムは、急進的な思考に対抗します。共産主義を含む左
右の全体主義に鋭く対峙するはずのものです。

戦前の右翼を国粋主義者とみる薄っぺらな思考には言いようのない違和感を
抱いてきました。彼らの多くは疑いもなくアジア主義者であったのはご存じ
の通りです。私が関心を持っていた大川周明は、イギリス人のインド人に対
する迫害に激怒し、インド解放のために立ち上がった人でしたし、北一輝は
中国の革命に一身を投げ出しました。内田良平は、朝鮮の一新会とともに近
代朝鮮の確立に一命を投げ出したといっていいでしょう。【後略】
--------------------------------------------------------------------

 この第4段落の「日本は、かなり特殊な国であるといえます。【中略】固

いナショナルアイデンティティの絆で結ばれた国として存在してきました。」

という部分は、私が >>323 で書いた「通婚可能性の観点から見た愛国論」

とまさに関連することのように思います。

 国家というのは、そこの大多数の住民が互いに「通婚可能」だと「感じて」

いる最大規模の集団である、とそこでは説明しました。しかし、日本以外で

は、この原則が必ずしも徹底していません。例えば国家の中に「階級社会」

があるような国では各階級の中では「通婚可能だと感じている」けれども階

級を超えて通婚可能だとは感じないでしょうし、多民族国家でも民族を超え

た通婚可能性はあまり感じていないでしょうし、また生物学的にも「遺伝子

の違い」がネックになり、子孫繁栄に必ずしも有利ではない。

 そういう意味では、日本「だけ」が真に「国内全体で通婚可能性を感じて

いる」国家であると思うのです。

 さて、亀さんの >>386 の中で、


> 竹本忠雄の著した『天皇霊性の時代』(海竜社)であり、十年前の小生
> は旧ブログで、同書の書評を書いたこともあります。
http://pro.cocolog-tcom.com/edu/2010/01/post-1d2b.html


とありますが、このリンク先に次のように書かれています↓


> フランスにルネ・セルヴォワーズ大使という方がおられますが、『日本
> …その理解の鍵』という著書のなかで『教育勅語』を絶賛し、他の二つ
> の世界的に有名な国家宣言と比較して、そのどれよりも優れていると書
> いています。

 【中略】

> 一つは、一七世紀、一八世紀に在位六十余年におよんだ清の康煕帝の詔
> 勅です。

 【中略】

> 「康煕帝の詔勅のほうは、具体的でプラクティカルなだけだが、これに
> 較べて『教育勅語』のほうは遙かに偉大な道徳的高みを持つものである」
> とセルヴォワーズ氏は、はっきり、軍配を日本に挙げているのです。そ
> してもう一つ、一七八九年にフランス革命政府の発した『人権・市民権
> 宣言』と較べて、こう述べているのです。

>  両者の比較は、雄弁にこのことを物語っている。

>  『人権・市民権宣言』のほうは個人の権利をいろいろと認めているが、
> 社会に対する個人の義務については事実上これを没却している。一方、
> 『教育勅語』のほうは、共同体の構成メンバーの相互的責務についてこ
> れを強調している。天皇は、共同体の要をなし、天上の秩序を代表して
> おられるのである。


 つまり、「康煕帝の詔勅」の方はプラクティカルというのですから、「道

徳」などと同じように、中国版の一種の「ポリコレ」ですよね。しかも康煕

帝は西洋科学の勉強にも熱心で、彼我の天文学を比較して西洋天文学の方が

正確だ(それ自体は事実でしょう)として西洋の方に軍配を上げているくら

いですから、「科学的合理性」を重んじた、中国版というより西洋のポリコ

レの輸入品であると言ってもよいかもしれません。

 一方の『人権・市民権宣言』の方は、「個人の権利」の主張に偏っている

というのですから、これこそサヨクの走りみたいなもので、要するに「本能」

を廃して「理性」に軍配を上げる、つまり「DNA」より「脳」を上位に置く、

まさに西洋の「ポリコレ」の基本となる思想そのものです。

 これに対して『教育勅語』の方は、セルヴォワーズは西洋の人ですから、

これを「偉大な道徳的高み」という表現をしていますが、もっと具体的に言

い換えれば、「自己の利害」だけでなく、「自分の属す(通婚可能な)集団

の利害」を重視する、ということで、生物学における「利己的な遺伝子」の

考え方によれば、その方が個々の遺伝子の繁殖には有利になるわけで、まさ

に日本というのはそういった生物学的な考察の結果に大変忠実な国家、民族

である、ということがわかります。多分、日本の持つ「霊性」というのは、

このような生物学的な合理性がいろんな雑音やバイアスによって汚されてい

ない大変ピュアな状態にある、世界でも大変貴重な存在である、ということ

なのかな、と思います。

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