★ 掲示板:『放知技(ほうちぎ)』 ★彡
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2018年元旦,金正恩,五輪外交を開始!平昌五輪を大成功に導く.習近平が金正恩を超国賓待遇!金正恩が米朝首脳会談を提案,これをトランプが即断で受諾!金正恩,板門店から韓国に入り,南北首脳会談.大成功!トランプが5月中の米朝首脳会談を示唆.マティス国防長官が「駐韓米軍の撤退」を示唆!…まさしく激動の2018年だ.この激動の切っ掛けをつくり,激動をリードしてきたのは,金正恩(34)だ!今後も金正恩は世界をリードする!目が離せない.深い考察と議論が必要だ.
(M部長・飯山一郎)
混沌に希望を見出す賢者の発信スレー41-
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1:堺のおっさん:
2021/01/24 (Sun) 07:25:51
host:*.enabler.ne.jp
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どういう訳か、本スレが消えてしまっている。
原因調査を行いますが当面、記事はここにお願いいたします。
前スレはまさに武漢ウイルスという世界を混沌の世界に変え、
希望を打ち壊すまっただ中で国家について検証してきた。
今後の世界に最大の影響を与える一つのイベントである
アメリカ大統領選挙の投票日を3日後に控え、
世界がどちらになるのか固唾をのんで見守っている。
どちらになるにも、選挙自体が混乱し政治的空白が生じる。
こうした局面で真に問われるのは明確な指針である。
日本の進む道を照らす投稿を期待したい。
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619:猿都瑠
:
2021/12/09 (Thu) 13:02:03
host:*.au-net.ne.jp
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>>620
未成年者の母親であるが、誰にも気付かれず産んで、赤子を母親が自らの手であの世に送る痛ましい事件がある。
判で押したかのように母親である未成年者を責め立てる風潮は実に悲しいものだ。
この世に生を受ける事は、最も祝福される事である。
しかしそれを真逆な結果にしてしまうのは、未成年者の母親は悪だという空気があるからだ。
誰が育てるのかとか、責任は誰が取るかとか、正直どうでもよい問題をあげたてる。
ハッキリ言えば、ほとんどの人間が過去に囚われ過ぎている事を知ってはいようが気付いていない事だ。
時間は生きている限り進んでいるので、人間は常に未来に生きている。
現在と認識した瞬間に過去になる。
未成年者が産んだ子どもの面倒は、知る限りの関係者である大人が担う。
何の為に先に産まれている人間、大人と呼ばれる者達が存在するのか。これは当然の摂理であろう。
責任を誰かに押し付けて自分は取りたくない言い訳をする。
しかし責任回避ばかりをしている人間の発言は、結局は無責任なだけであり、何の重さも持たない。
いや本当の意味での責任は誰も取れないので、無意識下で責任回避が暗黙の了解になっている。
だからこそ責任問題などどうでもよく、これからどうするかを考えねばならない。
責任問題などは過去に囚われた人間が勝手に追及すれば良い。
責任追及すれば、恐らく自分の中で解決した気分にはなれるのだから。
傷付いた未熟な未成年者の親と子どもの未来に付いて考える、これが先人の責任であろう。
悪意を受け続けた子どもがどうなるのか。
そのまま大きくなって親になった場合に、子どもに同じ事をする、虐待、イジメ、犯罪行為。
子ども時代にやってしまうかも知れない。
人類の大半は、悪意を発するエネルギーの行き先に無頓着過ぎる。
悪意ある犯罪行為が報道された場合、犯罪者を罵倒するというのは、
自分自身が発した悪意あるエネルギーが周り回って集約されたと感じた、責任回避としての言い訳に過ぎない事に無意識に反射したとも言える。
恐らく自分は悪くないと、はね除けるであろうが。
キリスト教でも教会に行って懺悔するのは、悪意を告白するってことで、無限大のエネルギー体である神々にその悪意を限りなくゼロに薄めて貰う事を意味する。
一神教を信じたが為に、他の神々は信じられないと他の宗教を排斥しようと宗教戦争になるのだが、我が国が違うのはお分かりだろうか。
結局は自分さえ良ければいいと考えるから、考えの違う人間を攻撃する。
しかし仏法を重んじ、八百万の神々を祀り、神仏習合を成し遂げた我が国はそうではない。
以前、明日香の百姓達と伏見稲荷大社のある社に奉納参拝を行った際に、百姓があの神様とこの神様との比較をして優劣を説いた事があった。
しかし宮司は覇気を強めて否定した。
神々は時代の差はあれど、それぞれを信奉している方々の歴史がある。
だからそれを否定する事は許されないと。
人間関係もその通りであり、まずは相手を認める事から付き合いは始まる。
最初から否定されるとどんな気持ちになるか考えたら良い。
自分さえ良ければいいと考えると、自分の意見を押し付けたくなる。
相手を尊重する意識を持てば、少なくとも争いにはならない。
そこから気遣い、心遣い、愛情が産まれてくる。
教養とは頭の良し悪しや知識を持っているかどうかではない。
思いやりが分かる心の事を言う。
知識人は転がっているが、教養人はなかなかお目にかかる事はない。
知識は本来人類全てが同じだけ知っているものだ。
問題は知識をどう捉え、教養を得るか。
つまり人生の目的とはまずは思いやりが分かる心を得ること。
それを魂磨きと呼び、その為にこの世に人間は生を受けているのである。